コラム

No.6 防災の日 (2014.8.19)

9月1日はいうまでもなく「防災の日」です。この「防災の日」が定められたのは、昭和35年(1960年)6月11日の閣議に於いてでした。9月1日は大正12年(1923年)の同日に関東大震災が発生したこと、暦の上では「二百十日」に当たり、台風シーズンを迎えること、そしてこの前年の昭和34年(1959年)9月26日には「伊勢湾台風」によって名古屋を中心に戦後最大の被害(死者4,700人、行方不明401人、傷者38,917人)を被ったことが契機となって「防災の日」が定められたものです。


「防災の日」の創設に当たり、昭和35年9月1日発行の官報資料には、「・・・災害に対しては、常日頃から注意を怠らず、万全の準備を整えていなければならないのであるが、災害の発生を未然に防止し、あるいは被害を最小限に止めるにはどうすればよいかということを、みんなが各人の持場で、家庭で、職場で考え、そのための活動をする日を作ろうということで、毎年9月1日を『防災の日』とすることになったのである・・・」と制定の主旨が記されています。


関東大震災は、大正12年(1923年)9月1日、午前11時58分、神奈川県相模湾沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9の巨大地震でした。当時の東京府(現在の都)と神奈川県を中心に190万人が被災し、10万5千人余の人々が死亡、行方不明になったといわれています。特に東京下町の本所、深川地区では火災による被害が多く、現在のJR両国駅北側にあった旧・陸軍本所被服廠跡(約10万平方メートル)の空き地(現在の「東京都慰霊堂」)には、大勢の人々が家財道具などを大八車に乗せて避難していましたが、地震とともに発生した大規模火災の炎がいわゆる「火災旋風」となって人々に襲いかかり、約38,000人の住民が一瞬にして犠牲となりました。また、火炎に追われ近くの隅田川に飛び込んで亡くなった方々も多かったと記録されています。更には、地震後の流言飛語によって、正しい情報がなかなか伝えられなかったともいわれています。

 

行政機関や地震学者からは、現在の東京にいつ大きな地震があってもおかしくない状況にあるともいわれています。今年も9月1日を迎えるに当たり、たとえライフラインが止まったとしてもご家族が数日間は自力で生活できる非常食、飲料水などを備えるとともに、正しい情報を得ることのできるラジオなどの情報機器をチェックしておくことが大切だと思います。

 

人間、自然の力には到底敵いませんが、その被害を極力少なくし、何とか命をつないでいくことは日ごろからの準備、心がけで可能だと思います。今年も「防災の日」を契機として非常食などの確認や買い足し、ご家族との話し合いなどの機会をもってみてはいかがでしょうか。「最悪の事態に備えよ」、これが危機管理の要諦です。減災に向けた普段からの町ぐるみの取組みが地域の安全につながりますので、職場や学校での防災訓練をはじめ、七国四丁目自主防災会主催の防災訓練や防災講演会などにも大勢の皆様が参加され、経験されることを心から願っております。


(自主防災会アドバイザー 秋山 惠)